2016年2月3日水曜日

谷田やたの庚申塚 (白井市・谷田)

白井市谷田のコンビニ・ミニストップ、その前を通り 国道464号線と交差している道路を東へと向かって500mほど進むと、左手に「谷田の庚申塚」が見えてきます。

この庚申塔群は、道路脇に忽然と姿を現します

石塔は、この近辺で千葉ニュータウン開発が行われた際に、この場所に集められたようです。

まず、石塔群の全景から。
全部で25基、見応えがあります。

左横から全体を見たところ


向かって左半分


向かって右半分


左から順に石塔を見ていきましょう。

➀ 第六天神社 昭和12年(1937) コンクリート
➁ 猿田彦大神 万延元年(1860) 安山岩
➂ 猿田彦大神 弘化4年(1847)  安山岩


➃ 庚申塔(青面金剛像)  明和9年(1772) 安山岩
➄ 庚申塔(青面金剛像)  明和元年(1764)   安山岩
➅ 庚申塔(青面金剛像)  宝暦9年(1759) 安山岩
➆ 庚申塔(文字「庚申」)   寛政9年(1797) 安山岩
➇ 庚申塔(青面金剛像)  寛延3年(1750) 安山岩


三猿庚申塔        寛文10年(1670) 安山岩
庚申塔(青面金剛像)     享保20年(1735) 安山岩
庚申塔(文字「庚申塔」)  文政13年(1830) 安山岩
庚申塔(文字「青面金剛」) 文化11年(1814)  安山岩


庚申塔(青面金剛像)    享保4年(1719) 安山岩
二十三夜塔       安永5年(1776) 安山岩
出羽三山塔       天保10年(1839)  安山岩
庚申塔(文字「庚申塔」) 天保8年(1837) 安山岩


不明像(手水石付) 造立年不明      砂岩
道祖神       天保5年(1834)  安山岩
二十三夜塔     嘉永元年(1848) 安山岩
不明石碑      造立年不明    安山岩


出羽三山塔          明治21年(1888)  頁岩
普門品一千巻供養塔      弘化2年(1845) 砂岩
奉納大乗妙典六十六部供養(塔)   延享4年(1747) 安山岩
道祖神            天明8年(1788) 砂岩
常夜燈            嘉永4年(1851)  砂岩


青面金剛像を中心にして見てみます。

➃ 庚申塔(青面金剛像) 明和9年(1772) 安山岩


➄ 庚申塔(青面金剛像) 明和元年(1764) 安山岩


➅ 庚申塔(青面金剛像) 宝暦9年(1759) 安山岩


➇ 庚申塔(青面金剛像) 寛延3年(1750) 安山岩


三猿庚申塔 寛文10年(1670) 安山岩


庚申塔(青面金剛像) 享保20年(1735) 安山岩


庚申塔(青面金剛像) 享保4年(1719) 安山岩


最後に、三猿の部分に着目して見てみましょう。

➃ 庚申塔(青面金剛像) 明和9年(1772) 安山岩


➇ 庚申塔(青面金剛像) 寛延3年(1750) 安山岩


三猿庚申塔 寛文10年(1670) 安山岩


庚申塔(青面金剛像) 享保20年(1735) 安山岩


庚申塔(青面金剛像) 享保4年(1719) 安山岩


付 記

上記の石塔に関する情報は、白井町教育委員会発行の『白井町石造物調査報告書  第四集』(1989)に拠りました。



追 記 2016.09.16

「広報しろい」の 2016.08.15 号に、三猿庚申塔(上記:番号➈の写真参照)に関する素晴らしい記事が載っていました。

庚申塔と猿の関連について述べられており、大変参考になりました。

「広報しろい」 2016.08.15 号 4面掲載記事

字が小さくて読みづらいかもしれませんので、以下に書き写します。

 

谷田やた三猿庚申塔さんざるこうしんとう


 神々廻地区と印西市船尾地区を結ぶ市道00-014号線を通ると、谷田地区の道路沿いに石塔がずらりと並ぶ一角が目に入ります。

 石塔群は庚申塔13基、出羽三山塔2基、二十三夜塔2基など総計25基で構成され、庚申塔が主体を占めることから、石造物調査報告書では「谷田庚申塚」と呼んでいます。谷田地区の皆さんが管理を行っており、ここに今回紹介する谷田の三猿庚申塔があります。

 この庚申塔は江戸時代の寛文10年(1670)11月に建てられました。4月に紹介した木地区の鷲(わし)神社境内にある「鷲神社の三猿庚申塔」と全く同じ年・月に建てられたもので、市内の庚申塔では最古となります。また総高191cmを測り、市内にある庚申塔の中では最大であるため、石塔群の中でも一際大きな存在感を示しています。

 形態は台石の上に角柱型の塔身が載り、その上に笠を置く笠付角柱型という型式です。
 塔身の正面下部には、三猿(右から見ざる・聞かざる・言わざる)が浮き彫りされ、上部には現世と来世が共に幸せであることを願って建てたこと、三猿の下部および側面には携わった谷田村の人々の名前、建てた年代が刻まれています。

 庚申信仰は、当初、猿とは無関係でした。室町時代に比叡山の山王信仰と習合した際、山王神の使者である猿が取り入れられたとの説があります。この説では、江戸時代でも最初期の庚申塔の猿は1匹や2匹で目・耳・口もふさいでいなかったものが、三猿を三尸(さんし)に見立て、悪事を天帝に報告させないという意味付けにしたことで誕生したと説明しています。

 ただし、三猿は庚申信仰の主尊である青面金剛の使者のため刻まれているとの説もあるなど、猿との関係は庚申信仰が中国から日本へ伝来後に仏教やさまざまな習俗と結び付く過程で創出されたものですが、申=猿というだけの単純な話ではないようです。

 庚申信仰は平たくいえば延命長寿の祈願で、火難除け、盗賊除け、降雨祈願などと共に人々の生活の中で重要な祈願・信仰です。この庚申塔は民間信仰に基づいて建てられた市内の石造物の中では最古級で、庚申塔の中では最古かつ最大であることから重要な資料といえます。

白井市 文化課文化班