2018年1月3日水曜日

千葉県北西部の鳥見神社 (8) <柏市・いずみ鳥見とり み 神社>

今回から柏市(旧沼南町の地域)の鳥見神社を取り上げます。
この地域には、鳥見神社が3社あります。

まずはじめは、柏市・泉の「伊津美・鳥見神社」。

本神社、最近の地図には 「鳥見神社」として載っています。
また、県の宗教法人一覧 でも 「鳥見神社」となっています。
この名前が〈本名〉のようです。

伊津美いづみ神社」という名前は、本神社が かつてのいづみ村の産土うぶすな・鎮守であったことによるのでしょう。

少し前の地図では、この「伊津美神社」という名前が用いられています。
なぜ、そのようになったのでしょう?
この記事の中ほどにいったら、答らしいものが見つかるかもしれません。

所在地は、柏市泉〔字宮ノ後みやのうしろ〕1358番地です。

泉鳥見神社は道路に面しています


鳥 居 明神鳥居です


神額には「伊津美・鳥見神社」とあります


参 道


拝 殿


拝殿の神額 「伊津美神社」とあります


拝殿内部 明るく広々としています


拝殿と、その後ろの本殿

『沼南風土記』(沼南町役場 1981)の P.224に拠ると、祭神は 饒速日命にぎはやひのみこと経津主命ふつぬしのみこと ・ 天児屋根命あめのこやねのみこと となっています。

『沼南町史』(沼南町役場 1979)のP.185~186には、本神社の由緒が書かれています。

泉地区の鎮守である。
“鳥見神社”と登録されているが、実際は鳥見(饒速日命) ・ 香取(経津主命) ・ 春日(天児屋根命)の三社神を祀る。

同地区の高台に位置し、境内は築地で囲まれている。

創建については不詳であるが、「伊津美神社」の扁額と古軸を現存すること、また、社殿の方角が旧泉村の中央部に背をむけ、中世の相馬氏の城址と伝えられる“立(たて)の台”に向かっていることなどから、古い歴史をもつものと推定される。

現在の本殿は、明和6年(1768)12月の再建である。

当社は安政3年(1856)6月24日、京都の吉田殿より“鳥見神社”の官位を受けている。

祭神として三神が祀られているということから、「伊津美神社」という命名は妥当なものだと感じさせられます。
「鳥見・香取・春日神社」などと、三社の名を連ねた神社名は見たことがありません。


本殿 大きな建物です


本殿の神額 「伊津美神社」とあります

拝殿や本殿の神額には「伊津美神社」とあります。
少し前の地図に この神社が「伊津美神社」と記された理由は、ここにありそうです。

本殿の背面

柏市・泉地区の由緒のある神社として、鳥見神社のほかには 泉妙見社の名があげられます。
『沼南風土記』には、「妙見社と相馬氏」という節があります。
P.84~85をみると、泉妙見社に関して興味深いことが書かれています。

明治43年(1910)4月、妙見社は地区の鎮守、鳥見神社に合併されて、本殿はそっくり移転してしまいました。
これを後世にまで伝えるため、旧境内には「遺跡碑」の石碑さえも立てられました。
ところが、そののち泉では凶事が続き、妙見大明神が旧地へ帰りたいことを感得して、昭和9年(1934)になって旧地に新本殿を建立し、祭神はふたたび旧地に祀られました
ただし、公的な社号と所有地は失われたままで、鎮守(鳥見神社)の飛地となり、現在も法人格はありません。

「伊津美神社」と神額が掲げられたのは、あるいは この合併等の経緯と関係があるのかもしれません。


八幡宮の社


駒形神社の石祠


東葛印旛大師 第28番札所の大師堂


弘法大師像


本家の第28番札所である 法界ほうかい山大日寺の御詠歌が書かれた扁額 


天満宮の社


石祠や金精様


石祠や石碑


隣にある「泉ふるさとセンター」から見た拝殿


「泉ふるさとセンター」入口

少し前の地図を見ると、「泉ふるさとセンター」のある場所には 「泉青年館」があったことが分かります。
柏市の資料(P.11)によると、泉青年館は 2009年に解体され、その後 現在の建物が建設されたようです。

左手には 赤い滑り台が見えます。
こちらは「泉子供の遊び場」というようです。

「泉ふるさとセンター」全景

この建物は、鎌ケ谷市でいうと自治会館に相当します。
詳しくは、以下をご参照ください。

➜  柏市 ふるさとセンター等貸し出し可能施設一覧表

上記のサイト見ると、柏市のこれらの施設には 実に様々な名前が付けられていることが分かります。


不明の小祠