2017年3月18日土曜日

赤池稲荷神社 (多古町・十余三)

赤池稲荷神社は、旧「十余三区」の鎮守です。
所在地は、千葉県香取郡多古たこまち十余三284番地22-5です。
現在、旧「十余三区」の大半は 多古町に属し、一部が大栄十余三として成田市に属しています。

この周辺は、江戸幕府によって管理されていた馬の放牧地でした。
明治になり、牧であったこの地は農地として開拓されました。
一連の開拓地の13番目であったことから、この地は「十余三」と名づけられました。
「十余三」の読み方については、いまでは「とよみ」とよばれていますが、命名の当初には「とよみつ」と読んだようです。

『野馬土手は泣いている』で有名な青木更吉氏は、「東京新田」として、明治初期に開拓された13カ所を取り上げています。

青木更吉 『「東京新田」を歩く』(崙書房出版 2011)より引用

これら13の「東京新田」は、開墾局知事であった北島秀朝によって以下のように名づけられています。

初富はつとみ  (鎌ケ谷市) 旧 小金・中野牧
二和ふたわ  (船橋市)  旧 小金・下野牧
三咲みさき  (船橋市)  旧 小金・下野牧
豊四季とよしき (柏市)   旧 小金・上野牧
五香ごこう  (松戸市)  旧 小金・中野牧
六実むつみ  (松戸市)  旧 小金・中野牧
七栄ななえ  (富里市)  旧 佐倉・内野牧
八街やちまた  (八街市)  旧 佐倉・柳沢牧
九美上くみあげ (香取市)  旧 佐倉・油田牧
十倉とくら  (富里市)  旧 佐倉・高野牧
十余一とよいち (白井市)  旧 小金・印西牧
十余二とよふた (柏市)   旧 小金・高田台牧
十余三とよみ (多古町)  旧 佐倉・矢作牧

漢学の素養を感じさせる素晴らしい命名であり、これらの地名はいまも用いられています。
なお、「十余一」の読み方については、いまでは「とよいち」とよばれていますが、命名の当初には「とよひと」と読んだようです。


赤池稲荷神社については、『多古町史(上巻)』の728~729ページに詳しく書かれています。

明治4年(1871) 2月に、五香六実から入植した初代の開拓者が、開拓の成功と豊作を祈願して、農舎の近くに石祠を祀ったことに始まるそうです。
明治21年(1888)、現在地に移されています。

明治32年(1899)、石祠を基として、最初の開墾地である初富村(現・鎌ケ谷市)の鎮守である 豊作稲荷大明神 を勧請したのだそうです。
鳥居には、いまも「豊作稲荷大明神」という神額が懸かっています。

昭和7年(1932)に社殿が新築され、翌年には電灯が初めてついたこともあり、神楽を奉納し喜び祝ったとのこと。

なお、これらのことは、以下のサイトにも端折って書かれています。

➜  観光ガイド 稲荷神社(十余三地区)

ただし、『多古町史』とは 豊作稲荷を勧請した年の記述が異なっており、どちらが正しいのか分かりませんでした。


鳥 居 奥に見えるのは神楽殿のような拝殿


神額には「豊作稲荷大明神」とあります


参 道 正面は横拝殿です


拝殿 建物の向こう側に見えるのは 本殿


拝殿 右側から見た全景


神楽殿を兼ねています 舞台に上がれるようになっています


「奉納」とある扁額 ここでは「赤池十二神楽」が奉納されました

「赤池十二神楽かぐらというものが、かつては奉納されていたようです。
下記の情報によると、2003年以降は奉納されていないそうです。


神楽殿の内側


奉納の札 右端の札には「奉納 拝殿 昭和27年(1952)」とあります


額が4枚かかっていました 奥に見えるのは本殿


神楽殿の後方から鳥居側を見たところ


境内から鳥居の方を見返した景観

境内に本殿を建て替えたときの記念碑がありました。

「赤池稲荷神社 本殿造営記念碑」 由来が刻されています

鳥居には「豊作稲荷大明神」とありますが、地元では「赤池稲荷神社」とよばれてきたようです。
記念碑には本殿造営の経緯についてふれていますので、以下に書き写します。

 赤池稲荷神社 本殿造営記念碑  


当社は明治初頭、開拓者が村の真ん中に石塔を祀り、農耕神お稲荷様として崇め、心をひとつに結束して成功を祈願したことに始まる。

昭和8年(1933)頃、村に電灯の敷設や県道の新設が決まったとき、願望成就の歓びの裡に社殿を建立し、京都伏見稲荷より宇迦御魂命を勧請した。

稲荷様・鎮守様・産土様と崇め親しみ、五穀豊穣・商売繁盛・子孫繁栄に導いてくださる御神徳の篤い神であると、住民の信仰をあつめ 心の拠りどころとなった。

年を経て本殿老朽化のため、本年(2005)、本殿を造営。併せて石水盤をおさめ 手水舎を建て、神聖な境内の趣を高め、敬神崇祖の念を愈々深めた。
先人の遺徳に感謝し、心を新たに敬虔な祈りを捧げるものである。

茲に本殿造営に年々意を尽くし努力を重ねられた区役員各位に敬意を表し、多大な御協力を惜しみなく寄せられた各位の名を刻み、ふる里を愛し ふる里の繁栄を希う真心を記念碑に托して後世に伝えるものである。

「本殿造営記念碑」の裏側には、平成17年(2005)建立とあります

境内に同様な石碑は見あたりません。
それだけに、当社の由緒について詳しく述べられていないことが至極残念です。
また、『多古町史』の記述とは若干の異同があります。
表現にも正確さを欠いているように思えます。


本殿 1 左手から見たところ


本殿 2 右手から見たところ


本殿 3 正面


前には「祓詞」として、お祓いの言葉を書いたものが置かれていました


本殿から鳥居に向かって戻りました。

神楽殿床下の旗竿丸太


手水舎


手水舎の水盤の裏には、本殿建て替えと同じ年が刻されていました


静かな境内


神社は 社叢林にひっそりと包まれていました


追 記 2017.03.31

写真を追加しました。
横縦比 4:3 の写真が、掲載当初からのものです。
横縦比 3:2 (横長) の写真が、追加したものです。