2016年4月12日火曜日

木下街道をゆく(2) 観音寺かんのんじ (印西市・浦部)

木下街道から ちょっと入ったところに、観音寺があります。
所在地は、印西市浦部1978番地です。

観音寺の位置
木下街道から入るときは、線で示したコース を行くと分かりやすいです
国土地理院 電子国土Webシステム配信の地図を利用


木下街道沿いにある松山下公園 その反対方向に観音寺はあります


「浦仁王尊」と書かれた 案内用の大きな看板が立っています


道沿いに進むと、また大きな看板が立っています そこを左折します


道を進むと観音寺の前に出ます


大正2年(1913)発行『千葉県印旛郡誌』の「永治村誌」のうち、「寺院仏堂誌」に 以下のように書かれています(後編 P.547~549)。

(5) 観音寺

浦部村 字寺下にあり、天台宗延暦寺派にして 中本寺 泉倉寺末なり。
阿弥陀如来を本尊とす。
慶安元年(1648)8月の建立にして、
堂宇 間口 6間半、奥行き 8間半。
境内 776坪あり。
檀徒 637人を有す。
境内、仏堂1宇あり。 即ち、

一 阿弥陀堂 阿弥陀如来を本尊とす。
       由緒不詳。
       建物、間口 4間、奥行き 8間半なり。

(『寺院明細帳』より)

また、観音堂については以下のように書かれています。

(11) 観音堂

浦部村 字寺下にあり、観音寺持にして 十一面観世音を本尊とす。
由緒不詳。
慶安元年(1648)8月1日の建立にして、
堂宇 間口 7間半、奥行き 7間半。
境内 1,455坪あり。
檀徒 915人を有す。
境内、仏堂5宇あり。 即ち、

一 閻魔堂 阿弥陀如来を本尊とす。
      由緒不詳。
      建物、間口 6間半、奥行き 4間。
二 大師堂 弘法大師を本尊とす。
      由緒不詳。
      建物、間口 1間、奥行き 5尺。
三 地蔵堂 地蔵菩薩を本尊とす。
      由緒不詳。
      建物、間口 1間、奥行き 1間。
四 弁天堂 弁財天を本尊とす。
      由緒不詳。
      建物、間口 9尺、奥行き 5尺。
五 仁王門 仁王尊を本尊とす。
      由緒不詳。
      建物、間口 4尺、奥行き 3尺。

(『仏堂明細帳』より)


本堂と観音堂が離れて建ち、独立しているかのような形は、この近辺でよく見られます。
本堂と観音堂は、どういった関係にあったのでしょうか。

本堂を後にして、まず観音堂の方から見ることにします。

広い駐車場の前に 仁王門があります


門の左右には 仁王像が立っています


乳なし仁王像 左 「吽形像」、 右 「阿形像」


左右の仁王像の前方上方には、乳房をかたどったものが懸かっています


仁王門右手の景色 竹垣の後ろは弁天池


観音寺の護摩供ごまくと行事の案内


弁天池の中ノ島には 弁財天の立像が建っています


境内側から仁王門を振り返って見たところ


印西大師 第16番札所の大師堂


四国八十八カ所 第16番札所である 光耀山観音寺かんおんじの御詠歌の前半

光耀山観音寺の御詠歌は、以下のとおり

  わすれずも 道引給へ 観音寺
           西方世界 みだの浄土へ

四国八十八カ所に、「観音寺」という名の札所は2つあります。
徳島市にある「光耀山 千手院 観音寺」(第16番札所)と、香川県観音寺市にある「七宝山 観音寺」です。
寺院名の文字は同じですが、前者は「かんおんじ」、後者は「かんのんじ」と読むようです。


この大師堂は、元は「石尊山」にあったとのこと


大師堂内に この御堂の由緒を書いたものがありました


長い階段が続いています


階段を登り切ったところに観音堂が建っています


欄間に細かい彫刻が施されています


観音堂左手にある建物 閻魔堂? それとも 庫裏のようなもの?


観音堂の右手奥には、さらに階段が続いています


階段から観音堂が見下ろせます


階段の上には 新しい墓地があり、奥の台地へと道が続いていました


では、本堂の方を見てみましょう。

仁王門の右には、「日照山 観音寺」と刻まれた山門があります


観音寺の本堂 大師堂や観音堂同様に 紙垂しでが下がっています


本堂には龍の彫刻が施されていました


印西市指定有形文化財の標柱


印西市指定有形文化財となっている板碑の説明板


同じく印西市指定有形文化財となっている鰐口の説明板


山門の近くに小さな祠がありました


仁王門の前にあった建物 何のためのものでしょうか


鳥が上空を旋回していました ノスリでしょうか