2016年9月29日木曜日

泉新田大木戸野馬堀遺跡 (印西市・泉)

印西市の泉地区には、野馬土手(野馬除け土手)の跡が残存しています。
「泉新田大木戸野馬堀遺跡」とよばれ、印西市指定文化財(史跡)になっています。

フコク生命 千葉ニュータウン本社ビルの近くにあります


入口に 印西市教育委員会による説明板があります


4台分の駐車場があり、その先はフェンスで遮られています


フェンスには注意書きが付けられています


見学は自由だと書いてあります


門扉を開けて入ります


門扉から入ってすぐの場所 右手は 復元していない野馬土手跡です


野馬除け土手は二重になっていて、間に堀があります


土手と堀とが残されていますが、土手はすでに低くなってしまっています


入口側を見たところです 復元前は潅木で覆われていたのでしょう


堀は2mほど   土手があった頃はもっと深かったでしょう


野馬土手の終端部 後ろに見えるのは太陽光発電パネル


2016年9月28日水曜日

泉王寺 (印西市・泉)

泉王寺は、泉の八幡神社と隣り合っています。

奥側は八幡神寺境内、手前側は泉王寺境内


泉王寺 左右の柱は 山門に見えますが、寺の名前がありません


左右ともに「愛宕山記念」の碑(安山岩)でした
大正2年(1913)建立

大正2年(1913)発行の『千葉県印旛郡誌』所収の「船穂村誌」には、「第8章  寺院仏堂誌」に以下のように書かれています(後編 P.459)。

(6) 泉王寺

泉新田村 字北側にあり、真言宗(醍醐派)にして三宝院末なり。
不動明王を本尊とす。
延宝5年(1677)4月10日建立。 当明治12年まで204年なり。

・堂宇 間口 2間、奥行き 2間半
・拝殿 間口 4間、奥行き 2間 (ただし作り込み)
・境内 134坪8合1勺
・檀徒 950人

寺院なのに「拝殿」とあります。 どういうことなのでしょう。
寺院から神社に移行した時期があったのでしょうか。

本 堂


本堂は傾いているようです


本堂正面を横から見たところ


「奉納 愛宕山」と書かれた扁額が懸かっています


本堂脇から入口の方を見たところ


手水舎(1831) と 門柱裏側の狛犬(1880) これらがあるのも不思議


境内から続くきれいな庭


境内から 隣にある泉八幡神社の鳥居が見えます


弘法大師供養塔(砂岩) 明治25年(1892)造立 


供養塔の上部には弘法大師像が


印西大師 番外の大師堂


弘法大師像(砂岩) 慶応4年(1868)造立


石造物の造立年等に関しては、印西町教育委員会発行の『印西町石造物 第三集 草深地区調査報告書』(1983)に拠りました。


2016年9月27日火曜日

2016.09.27 朝靄の中沢谷津 (鎌ケ谷市・中沢)

二年あまり前に、中沢谷津の朝靄の写真を載せたことがあります。

➜  2014.06.09 朝靄の谷津を散歩する (鎌ケ谷市・中沢)

今朝も朝靄が出ました。
このところ雨や曇の日が続いて、昨日はようやく晴れました。
しかも、夏日でした。
地表から水分が蒸発して湿度が高くなり、今朝の朝靄となったのでしょう。

谷津に面した家々が霞んでいます


住宅街から谷津沿いの道へと進みます 一気に景観が変わります


白いフェンスの向こう側には湧き水が流れています


池のむこうも霞んでいます


向きを変えて池を見たところ


道路の左側は「あじさいの里」 梅雨時期には 美しく咲きます


左に見える坂の道は、きっと江戸時代から続くものなのでしょう


クモの糸についた落葉が 道の上にぶら下がっていました


根郷川を上流に向かって見たところです


この辺りは 搾り水(湧水)でいつも濡れています


一本の木のある風景です


ここには、かつて田圃が広がっていました

谷津に田圃があった昔は、頻繁に濃い霧が出たものです。
実に幽玄で素晴らしいものでした。

谷津田がなくなってからは、一年に数回しか霧は発生しなくなってしまいました。
今では、このような朝靄の景色が見られるのは珍しいことなのです。

坂道をのぼって谷津に別れを告げ、家路につきました。


2016年9月26日月曜日

泉八幡神社 (印西市・泉)

印西市の泉地区を歩きました。
今回は、八幡神社をご紹介します。

道路沿いに鳥居が建っています


鳥居の隣にある建物は 泉新田組合集荷所のようです


建物の横にあった手水石(➀)と石碑(➁)

印西町教育委員会発行の『印西町石造物 第三集 草深地区調査報告書』(1983)には、以下のように書かれています。

➀ 手水石
 ・材 質  安山岩
 ・造立年  明治20年9月9日(1887)
 ・造立者  白石八右衛門
 ・銘 文  奉 納

➁ 石 碑
 ・材 質  頁 岩
 ・造立年  明治30年8月27日(1897)
 ・造立者  森川豊治郎 ほか
 ・銘 文  奉 納 泉邑神楽連名塔

鳥居をくぐって入りましたが、社殿が見えません


正面にあった建物には「泉会館」と書かれていました


泉会館の左手には 幟竿を格納する建屋がありました


泉会館の裏に回ってみると、隠れるようにして 本殿と石塔がありました


由緒書きと思いきや、八幡神社の一般的な説明が書いてあるだけでした

大正2年(1913)発行の『千葉県印旛郡誌』所収の「船穂村誌」には、「(7) その他の神社」として12の神社が表覧の形でまとめられています(後編 P.454)。

八幡神社の部分だけを以下に書き出します。

・社 名  八幡神社
・社 格  村 社
・所在地  泉新田 字東北側
・祭 神  応神天皇
・由 緒  不 詳
・社 殿  間口6尺、奥行き6尺
・境 内  62坪
・氏子数  269戸

本 殿 泉会館の裏にあるとは、実に気の毒です


本殿の左手にある6つの石塔

これらの石塔は、『印西町石造物 第三集 草深地区調査報告書』に載っています。
右側から順に書き出してみます。

➀ 愛宕山神社 祠
 ・材 質  大谷石
 ・形 状  切妻型
 ・造立年  昭和54年12月吉日(1979)
 ・造立者  氏子一同

➁ 天満宮神 祠
 ・材 質  砂 岩
 ・形 状  切妻型
 ・造立年  不 明
 ・造立者  前田マキ

➂ 道祖神 祠
 ・材 質  凝灰岩
 ・形 状  唐破風型
 ・造立年  明治15年10月(1982)
 ・造立者  不 明

➃ 三峯神社 祠
 ・材 質  砂 岩
 ・形 状  切妻型
 ・造立年  明治33年5月3日(1900)
 ・造立者  不 明

➄ 金比羅大権現 祠
 ・材 質  砂 岩
 ・形 状  入母屋型
 ・造立年  文政10年8月吉日(1827)
 ・造立者  白石利右ェ門

➅ 阿夫利神社 祠
 ・材 質  砂 岩
 ・形 状  唐破風型
 ・造立年  天保4年6月吉祥日(1833)
 ・造立者  不 明


八幡神社の隣には 泉王寺があります


泉王寺とは、塀と生け垣の間を抜けて 行き来できます