2015年12月14日月曜日

北総の宗像神社(12) <印西市・船尾>

船尾宗像神社は、戸神宗像神社から歩いて2kmほどの場所にあります。
所在地は、印西市船尾(字本郷)1293番地です。
境内は道路に面しています。

船尾宗像神社 表参道 この神社には鳥居がありません


短い表参道です なお、両脇にも参道があります(後掲)


社殿全景


宗像神社についての説明書き


説明書きを以下に書き写します。

宗 像 神 社

 
御 社 名

御社名は、宗像神社(むなかたじんじゃ)と申し上げます。
大社は福岡県宗像市に鎮座する「宗像大社」であります。
大社においては三神がそれぞれ辺津宮(へつみや・本島)、中津宮(なかつみや・大島)、沖津宮(おきつみや・沖ノ島)へそれぞれ祀られております。

胸肩・胸形・宗形神社と称する神社もあるが、宗像神社は全国においても数は少数である。
しかし宗像系の神社となると全国有数(5位)の神社数となる。
厳島神社も同じ祭神であります。
 
御 祭 神

宗像神社は天照大神の三柱の御子神をおまつりしています。
三女神のお名前は、田心姫神(たごりひめのかみ)、湍津姫神(たぎつひめのかみ)、市杵島姫神(いちきしまひめのかみ)と申し上げ、この三女神を総して「宗像三女神」と申します。

古事記においては、誓約において、天照御大神が須佐之男命(すさのを)の十拳剣を譲り受けて生んだとされており、須佐之男命の物実(ものざね・・・天の真名井ですすぎ、口で噛みくだいて霧として吐き出した)から化生したので須佐之男命の子としている。

また、日本書紀には、宗像三女神が「道主貴(みちぬしのむち)」、すなわち国民のあらゆる道をお導きになる最も尊い神として崇敬を受けていたことが記されています。
「貴」とは最も高貴な神に贈られる尊称です。
道主貴(※宗像三女神)以外には、伊勢神宮の大日靈貴(おおひるめのむち)(※天照大神)、出雲大社の大己貴(おおなむち)(※大国主命)のみですので、宗像三女神が皇室をはじめ人々からいかに篤い崇敬を受けられていたかがうかがえます。
 
御 神 徳

船尾宗像神社の創建年代は不詳です。
三女神で、航海治水・交通安全の神です。
また、天照大神より皇室のご繁栄を祈ることが、国民の繁栄に通ずる道であることを明示された、国の平安、家内安全の神であります。
宗像三女神の一枝、市杵島姫神は美女の代名詞・弁天様ともいわれ、美容・開運・金運・芸能・知恵などの信仰も深い。

船尾の宗像神社は印西八ケ村の総社といわれました。
元文2年(1737)7月21日に、旧京都の吉田殿より正一位宗像大明神の宣旨を給わりました。
 
【宗像大社・神勅】

天照大神が宗像三女神を高天原(たかまがはら)から筑紫の国にお降しになりましたが、その時に授けられたのが下記の神勅です。

神勅とは『古事記』『日本書紀』に記述されている天照大神の勅命(神様の出されたご命令)のことです。「筑紫の国に降り、沖津宮・中津宮・辺津宮に鎮まりなさい。そして歴代天皇のまつりごとを助け、丁重な祭祀を受けられよ」と示され、皇室のご繁栄を祈ることが、国民の繁栄に通ずる道であることを明示されたのです。
 


 

    神 勅

 汝三神いましみはしらのかみ よろしく
 道中みちのなかくだりして
 天孫あめみまたすまつ
 天孫あめみまいつかれよ

 (日本書紀 記載)

神社 拝殿


拝殿の後ろにある本殿


本殿の後ろ側から見たところ


本殿の裏手には 船穂小学校の校庭が見えます


様々な境内社が祀られており、主なものには 近くに立てられた掲示板に説明書きがあります。

古峯神社についての説明書き


古峯神社の祠


八坂神社についての説明書き


八坂神社の祠


天満宮についての説明書き


天満宮の小祠


天照皇大神社


本殿の後ろにある祠


ほかにも多くの祠が並んでいました


表参道の左右にも、境内へと続く道があります。

右手脇道の入口には、猿田彦を祀った石塔などが並んでいます


珍しい石像 猿田彦でしょうか 台座からとれています


右手にある脇道 表参道へと続いています


左手にある脇道 表参道へと続いています


左手の脇道の途中にある特徴的な形の墓 神社独特の形なのでしょうか


境内から脇道をとおして道路側をみたところ


表参道の入口右手で見られた サカキ(榊)の実