2015年10月15日木曜日

印旛を歩く(19) 泉福寺 (印西市・岩戸)

泉福寺 周辺地図
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上の地図に書き込んである社寺等については、本ブログの以下の記事をご覧ください。

 ➜  北総の宗像神社(5) <印西市・岩戸>

 ➜  印旛を歩く(13) 西福寺 (印西市・岩戸)

 ➜  印旛を歩く(14) 高岩寺 (印西市・岩戸)

 ➜  印旛を歩く(16) 印西市印旛西部公園 (印西市・岩戸)

 ➜  印旛を歩く(20) 印旛歴史民俗資料館 (印西市・岩戸)

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旧 印旛村(現 印西市) 岩戸にある 泉福寺。
真言宗豊山派の寺院です。
所在地は 印西市(大字)岩戸1671番地。

薬師堂は 国指定の重要文化財となっています。

泉福寺の駐車場前に建っている案内標柱 「重要文化財」と表記あり


泉福寺 山門 注連縄が 横一文字に張られています


山門を入って正面には本堂 左手を上がったところには薬師堂


泉福寺 本堂 左側は庫裏


左手から本堂を見たところ 回向柱が建っています


本堂の裏手は崖になっています


大正2年(1913)発行『千葉県印旛郡誌』の「宗像村誌」のうち、「寺院仏堂誌」には 以下のように書かれています(後編 P.414)。

(4) 泉福寺

岩戸村 字東郷にあり、真言宗(豊山派)にして千手院(佐倉市)末なり。
千手観音を本尊とす。
宗祖 興教大師 法孫 開基、詳らかならず。
中興、開山 法印・宥順、弘治2年(1556)3月 創立。
法流、開基 法印・果阿、明治12年(1879)10月7日。


堂宇 間口 6間、奥行き 4間半。

境内 382坪あり。住職は竹田果阿にして、檀徒 82人を有す。

(『寺院明細帳』より)

   < 中 略 >

土俗 伝う。元、上の坊の地にありしもの。年月不詳、火災のため、今の地に遷す。
当時、秋の最中にして、猛火の際、里民某 これに行きかかり、如来の寒天にさらさるるを見て 憫れと思い、馬上の稲一束を取りて 救い護りしより、爾来 屋根替えには必ず稲穂の藁一束を交じるをもって例とすと称す。


泉福寺 薬師堂   小高くなった場所に建っています


薬師堂とその境内 広々としています


茅葺きの薬師堂 国指定の重要文化財です


薬師堂を左手から見たところ


薬師堂の説明板 用語が難しくて、容易に理解できません


印西市教育委員会発行のパンフレット 「印西市の指定文化財」 から
説明板よりは分かりやすい説明です でも、まだ難しい


薬師堂の南隣は宗像小学校   同校は泉福寺を仮教場として1873年に開校


大師堂と関連する石碑


印西大師 第74番札所の大師堂


菩薩像や卵塔が整然と並べられていました


燈籠や手水鉢


お堂 2体の石像が納まっています


➜  印旛を歩く(18) 長圓寺 (印西市・師戸)

➜  印旛を歩く(20) 印旛歴史民俗資料館 (印西市・岩戸)