2014年12月20日土曜日

印旛を歩く(6) 徳性院とくしょういん (印西市・瀬戸)

印西ウエットランドガイドの里山調査で 印西市の瀬戸地区を歩きました。

https://docs.google.com/file/d/0B0eo8wCrTacCTmJvZ2F5VnJqS0E/edit?usp=drive_web
徳性院とその周辺の地図
国土地理院の電子国土Webシステムから配信されたものを利用

以下が当日のコースです。
➀ 瀬戸宗像神社 ➜ ➁ 子育火伏こそだて ひぶせ地蔵尊 ➜ ➂ 徳性院とくしょういん ➜ ➃ 水神社すいじんしゃ ➜ (瀬戸干拓) ➜ (双子橋) ➜ ➄ 双子公園(印旛捷水路しょうすいろ) ➜ (経費老人ホームよしきり) ➜ (願定院がんじょういん) ➜ ➅ 印旛中央公園・印旛公民館

瀬戸宗像神社は、以前訪れたときに記事を書いていますので省きます。
 ➜  北総の宗像神社(3) <印西市・瀬戸>
今回は、訪ねた中から真言宗豊山派の寺院 徳性院とくしょういんを取り上げます。
徳性院の所在地は、印西市(大字)瀬戸2226番地です。


徳性院の説明書きに、正式名称は「合集山 徳性院 多門寺」とあります


大正2年(1913)発行の『千葉県印旛郡誌』の「六合村誌」の「第10章  寺院仏堂誌」には、以下のように書かれています(後編 P.393)。

 (5) 徳性院

瀬戸村 字梨子の木にあり、新義 真言宗豊山派にして、宝蔵院(松戸市の寺院)末なり。
十一面観世音菩薩を本尊とす。
それ、本尊 観音大士の由来は不明といえども、村民古老の口碑(古くからの言い伝え)に 当観世音は 仝村(瀬戸村)願定院の馬頭観音と同時に 行基僧正作と云い伝えり。

しかるに凡そ五百有余年以前、祝融(中国神話の火の神)の災いに罹り、諸堂宇、由緒 ともに灰燼す。
それ以後、堂宇すこぶる壮観を極むといえども、元治元年(1864)10月晦日、堂宇 大概焼失す。
わずかに該炎に残宇するもの、面門(山門?)、鐘楼堂等のみ。
その後、4ヶ年を経て、慶応3年(1867)、一宇 落成す。 今の客殿これなり。

客殿、間口 7間  奥行き 5間。 鐘楼、間口 2間  奥行き 2間。
門、間口 2間  通り間 2 間。 境内 1024坪あり。 檀徒 227人を有す。

境内庵室一宇あり。 即ち、
 ・大日庵   大日如来を本尊とす。 由緒不明。 建物、間口 5間 奥行き3間。


山門前にある石塔群 1  中央は 珍しい「七夜待塔」


石塔群 2  女人講の石塔が多く見られます 本尊は子育てに効験あり


徳性院の山門


山門を入って左側にある六地蔵 各地蔵の説明書きが右上にあります 


徳性院の客殿 本尊が観音堂にあるため 「本堂」とは呼ばないのでしょう


客殿に懸かっている扁額 右側にある小さな扁額にも注目


観音堂 神社ではないのに なぜ鰐口ではなく 鈴がついているのでしょう


観音堂の扁額   本尊である 秘仏 十一面観世音菩薩は 33年に一度 ご開帳


印西大師 第七十六番札所 大師堂


徳性院は、印旛沼に臨んだ 切り立った崖の上に建っています。
下の地図をご参照ください。

印旛沼に臨んだ崖上に建っている徳性院
国土地理院の電子国土Webシステムから配信されたものを利用


さらに先にゆくと 左右に広く印旛沼が見渡せました 曇だったのが残念


印旛沼に向かって 芭蕉の句碑が建っていました

芭蕉の句碑には 以下のように刻されていました。

  観音 甍見やり 花の雲    者せ越はせを

 ( 観音の 甍見やりつ 花の雲   芭 蕉 )

この句は貞享3年〈1686)の春に 深川の芭蕉庵で詠まれたものであり、庵から遠望した「観音の甍」とは 〈聖観世音菩薩〉を本尊とする浅草寺を指しているのだそうです。
ここ徳性院も 〈十一面観世音菩薩〉を本尊とするため、そうした縁でこの句碑が建てられたのでしょう。


➜  印旛を歩く(5) 印西市印旛支所 (印西市・美瀬)

➜  印旛を歩く(7) 水神社すいじんしゃ (印西市・瀬戸)