2014年10月7日火曜日

「しろい社寺めぐり」 (その1)

白井市郷土資料館の開館20周年記念行事として、「しろい社寺めぐり」が以下のように開催されました。

 ・日 時  2014年9月27日(土) 9:00~14:00
 ・主 催  白井市郷土資料館
 ・協 力  しろいふるさとガイドの会 (当日のガイド役)

以前から白井の神社・仏閣には興味があったものの、なかなか訪れる機会がありませんでした。
今回は、「しろいふるさとガイドの会」のみなさんという 強力な案内人を得て、ふだん見ることのできない社寺をめぐることができました。


https://docs.google.com/file/d/0B0eo8wCrTacCd24ya0lseXNMWms/edit?usp=drive_web
「しろい社寺めぐり」 コース案内図 (当日配付資料より)

楽しく参加した この「しろい社寺めぐり」を 2回にわたって掲載します。

「しろい社寺めぐり」のスタート 一般参加は 約30名(限定)


白井市文化センターの近くにある佛法寺 天台宗 (長命山 佛性院)


本尊の木造・阿弥陀如来座像および2体の脇侍立像わきじ りゅうぞう 鎌倉時代の作


印西大師 第四十二番札所の大師堂


大師堂の扁額

扁額には以下のように書いてあります。

  印西組大師霊場第四十二番

    草も木も 佛尓なれや 佛木寺
    なを た乃もしき きちく 尓んてん

  昭和四十四年九月廿一日 当区  湯淺古松

一部違うところもありますが、本家の 王+果山 毘廬舎那院 仏木寺いっかざん びるしゃないん ぶつもくじ の御詠歌そのままです。

    草も木も 仏になれる 佛木寺
    なお 頼もしき 鬼畜人天


佛法寺のすぐ隣にある 法目ほうめ八幡神社


この後、西に方向を変え 七次ななつぎの方へと移動しました。

大日神社おおひ (だいにち) 七次村の村社として 延宝5年(1677)9月15日に創建


大日神社 由緒 村の合併に伴い 七次村村社 ➔ 根村村社 ➔ 白井村村社

七次村は江戸時代からの村の名前です。
この「七次」という名前は「七次台」という地名になって、いまも残されています。
村は、明治7年(1874)10月に、江戸時代からの村や新田である 七次村、七次新田、中木戸新田、白井木戸新田 そして 軽井沢新田(現 鎌ケ谷市)が合併して成立した村です。
はじめは田圃だった七次新田は、いまでは多くの人が住む冨士地区となりました。

江戸時代からの村 (白井市郷土資料館『白井のあゆみ』(2005)より)

さらに、明治22年(1885)4月1日の町村制施行に伴い、白井橋本村、神々廻村、根村、名内村、富塚村、折立村、復村、木村、中村、中村新田、今井新田が合併して 印旛郡白井村が発足しました。
同時に、隣接する谷清村(谷田・清戸・十余一)とともに 「白井村谷清村組合村」を発足させています。
なお、このときに 軽井沢新田は、東葛飾郡鎌ケ谷村に編入されています。

大正2年(1913)4月1日には、谷清村が永治村に編入されたため「白井村谷清村組合村」を廃止し、白井村は単独村制となりました。

単独村制の白井村と 永治村に編入されていた地区 (上掲書より)

昭和29年(1954)12月1日には 、永治村の一部(旧谷清村と平塚地区)を編入し、今の市域と同一の村域が確定しました。


大日神社の石像鳥居 慶応2年(1866)建立


大日神社 拝殿


大日神社に隣り合って天神・八幡神社が建っています。

天神・八幡神社 菅原道真と 生食いけづきという伝説の馬が祭神

かつての社格は「村社」よりも低い「無格社」でしたが、『千葉縣印旛郡誌』(1913)の「白井村史」では 8行を割いて書かれています。
これは全部で31ある神社の説明の中で、もっとも長い記述です。

神社は 七次新田から七次村そして現在地に移転


二つの神社のすぐそばには長楽寺があります。

長樂寺 山門 天台宗 延暦寺派 (七寳山 灌頂院)


堂々とした本堂 江戸時代に根字八幡にあった地蔵堂が前身とのこと


本堂屋根の宗紋 皇室ゆかりの十六菊紋に 三諦星がのっています


こちらは三諦星のみです どう違うのでしょうか


立派な鐘楼と とても大きな梵鐘


印西大師 第八十二番札所の大師堂

扁額が懸かっていたのにもかかわらず、撮影する時間がありませんでした。
また、撮りにいきたいと思います。


さらに、道を行きました。
続きは次回に。

路傍の小さなイチョウの木に 多くの銀杏がついていました


➜  「しろい社寺めぐり」 (その2)