2013年11月2日土曜日

鎌ケ谷の野馬土手(12) 野馬の水呑み場跡(東武団地調整池) 

下野牧の捕込をあとにして、井草三叉路(三差路)を渡ります。
三差路には芭蕉俳諧の流れを汲む三級亭魚文の句碑が建っています。

木下街道に面して建つ句碑は 道標を兼ねています

この句碑については、以前に「鎌ケ谷 散策マップ(2)  鎌ケ谷大仏コース」 に書きましたので、ご覧ください。

さて、北西に向かって進むと、大きな調整池が見えてきます。
かつての丸山溜井、現在の東武団地調整池です。

東武団地調整池を東南に向かって見たところ

この池は、江戸時代の昔から大きさや形はそれほど変わっていません。
江戸時代の面影を色濃く残している明治13年発行の『迅速測図』を見てみましょう。

鎌ケ谷大仏周辺 左上が丸山溜井、中央右寄りが下野牧の捕込

この丸山溜井は野馬の水呑み場だったことがわかっています。
池と野馬土手の間に広い場所がありますが、その辺りで水を飲んでいたのではないでしょうか。
この部分は、東武団地調整池となるときに掘り下げられ、現在は水面下となっています。

天保14年(1843年)に描かれた「鎌ケ谷村絵図」を見ると、池の周囲の土地の使われ方がよくわかります。

鎌ケ谷村絵図 (天保14年〈1843年〉) 〔白井敏氏所蔵〕
鎌ケ谷市郷土資料館発行の平成23年度企画展図録『絵図と地図でみた鎌ケ谷の400年』(2012) P.6 から一部切り取り

丸山溜井から流れ出した3本の川が木下街道と交わるところには、それぞれ橋が架けられていたことが見て取れます。
また、鎌ケ谷八幡神社の隣には下野牧の捕込もしっかりと描き込まれています。

調整池からの流れは、暗渠となって井草(小字名)を通り抜けたあと、井草水路として姿を現わし、鎌ケ谷と船橋の市境を越えてから 「二重川」という名前になります。
そして、北東へと向かい、船橋市小室町の北で神崎川に合流します。

二重川を下流へ向けて撮影


話題は変わりますが、どこの調整池も冬場はカモ類のメッカとなります。
東武団地調整池にも寒くなると北から多くの種類のカモが渡ってきます。
でも、ここでは一年中 マガモのような鳥が見られます。

これはマガモでしょうか?

マガモのような模様をしていても 体はずっと大きくて、渡りをしないで一年中いるの鳥はアヒルだと聞いたことがあります。
左側の大きく見える鳥は、そのアヒルかもしれません。


 ➜ 鎌ケ谷の野馬土手(13) 稲荷前三差路近くの勢子土手跡