2013年4月29日月曜日

鎌ケ谷の野馬土手(7) 瓢簞にあった野馬の水呑み場

かつて谷津の最上流部は、清水が豊かに湧く 谷頭や谷津頭とよばれる場所でした。
そのため 馬の恰好な水呑み場となっていました。

下の絵図は、今から約300年前に描かれたものです。
水色に塗られている部分は 当時、谷津田のあった場所です。
その鼻先の部分が谷頭です。
また、濃い色に塗られている部分は、溜井とか池などとよばれた場所で、やはり野馬の水呑み場でした。

いずれ 各所にあった野馬の水呑み場について まとめてみたいと思っていますが、今回は金山落の最上流部に着目したいと 思います。

享保7年(1722年)の牧絵図〈部分〉 〔満願寺所蔵〕
(元図:  鎌ケ谷市郷土資料館『絵図と地図でみた鎌 ケ谷の400年』より)
 
この絵図が描かれた頃に は、一本椚牧という名前の牧が存在しました(後に中野牧に統合されました)。
金山落の谷頭は、上の絵図の「壹本椚牧」という文字の上の部分、Yの字を逆さにしたような部分です。
秋元病院の近くにあったという野馬の水呑み場については前にふれました。
今回はもう一方の瓢簞という小字名の場所にあった野馬の水呑み場を探ってみたいと思います。
 
この瓢簞という地名は、この場所にあった瓢簞形の池の名前からついたといわれています。
いまでもバス停の名前「ひょうたん」や公園の名前「瓢簞公園」 に、この小字名は使われています。
 
風間街道沿いにあるバス停「ひょうたん」
 
このバス停の表示には「第2北総病院入口」とありますが、この病院の近くの風景を見てみましょう。
バス停からしばらく病院に向かって歩くと、どんどん道が下っていきます。
 
第2北総病院前の三差路 左手に進んだところにバス停があります
 
病院近くの三差路の風景は、後日 取り上げる予定にして いる入道溜三差路の風景とそっくりです。
この周辺には池があったのではないかと感じさせます。
 
この近くには1980年代から大きな建物が建設されています。
1984年 鎌ケ谷五中の開校、1986年 旧クリーンセンターの設置(2000年4月から休止中)、1996 年 第2北総病院の設立。
これらの建設の前に、周辺の造成が行われたのではないかと思います。
 
2013.05.09 追 記
5月1日に 市のクリーン推進課にききにいったところ、旧クリーンセンターの隣には「旧々クリーンセンター」と でもいうべき建物が1973年に設置されており、この業務がクリーンセンターに引き継がれたのち解体されたようです。
最近、課の方が調べていてわかったことで、とても驚かれたとのことでした。
当時の資料は既に廃棄されてしまっており、それ以上の情報を得ること ができませんでした。残念です。
(この追記 終わり)
 
もう一度坂を上り、今度は病院の横を回り込んで、鎌ケ谷五中の方へと急な坂を下りていきます。
この坂になっている右の部分は谷頭だったのではないかと思われます。
そこをクリーンセンター建設のため、盛り土して埋め立てたのではないでしょうか。
 
左は第2北総病院、右は旧クリーンセンター
坂を下り終わると 右手の方に鎌ケ谷五中が見えてきます
 
坂を下りきったところ、五中へと続く通学道沿いに水路があります。
Y字に分岐した谷頭の一方の名残です。
 
水路は写真の奥から手前の方へと流れています
 
この水路が2つに分かれた先に池ができていたのではないかと思います。
その池は、病院の隣にある旧クリーンセンター内の、現在建物が建っていない場所辺りにあったのではないでしょうか。
谷頭から流れ出た水が低地に溜まっていくことがありま す。
白井の船橋カントリー倶楽部内にある清戸の泉は、湧き水が流れ出た先には大きな池ができています。
池は、この清戸の泉のようだったのではないでしょうか。
残されている地図を詳細に検討してみる必要がありそうです。
 
2013.05.04 追 記
ki さんの情報により『鎌ケ谷市史 資料編Ⅴ(民俗)』P.522 に瓢簞池についての記載があることを知りました。
以下に引用します。
明治後期に埋め立てられてしまったが、ヒョウタンの形をした池があって、村人は瓢簞池とよんでいた。この池は、江戸時代に、ここに中野牧という幕府直轄の牧場があったとき、馬の水飲み場にされていたものといわれる。」
(この追記 終わり) 
 
明治13年(1880年) に参謀本部陸軍部測量局によって作成された『迅速測図』を見ておきましょう。
 
(『迅速測図』佐津間他近傍村落より)
 
現在の瓢簞周辺は、牧内の根村軽井沢新田に属する部分にあり、勢子土手の東にあります。
Y字に分岐した 西の方の谷頭は、現在の秋元病院の近くに位置しており、勢子土手の内側にあります。
同じ水呑み場でも用途が違っていた可能性も考えられます。



 
2014.01.28 追 記
 
先般、この瓢簞池に興味をもつきっかけをつくってくださったY氏からメールをいただきました。
その要点は、以下のとおりです。
 
1.明治時代の迅速測図で瓢箪の周辺を見ると、金山落が現在の第2北総病院の方向に入り込んでいるのが等高線で確認できるが、その等高線の先端部分にポツンと離れて丸い等高線がある。この部分は窪地であったと思われる。

2.国土地理院の電子国土地図で標高を見ると、上記の丸い等高線の中心と思われる箇所は標高26.08mである。周辺は28.93m、27.26m、28.85m等となっており、この位置の標高が際立って低い。
 
3.該当の場所は現在畑地となっている。周辺の農家に聞けば何か証言が得られるかもしれない。
 
そこで、あらためて迅速測図と国土地理院の地図を見てみました。
その2枚を並べてみます。
  
迅速測図 金山落の谷頭近くの窪地 (赤い線


国土地理院 電子国土の地図 (低い位置に赤いマーク
 
上の地図で赤く印をつけた場所は坂の下の低地にあります。
この記事の3枚目の写真を見ると、ぐっと下がった場所にあることがわかります。
坂を下りてから撮った写真が下に載せたものです。
いまも人家が建っていません。

北側(道路側)からみた窪地の景観
 
前にもふれたのですが、この周辺の景色はかつて入道溜があった粟野の景観とそっくりです。
私は、Y氏がいわれるように、この場所には かつて瓢箪池があったのではないかと思うようになりました。


 ➜ 鎌ケ谷の野馬土手(8) 「野馬土手在りき」の木柱

 

2013年4月26日金曜日

鎌ケ谷で見られる木本(4) フジ

4月の中・下旬、国道464号線から市制記念公園を南の方向に見たときに、高木に絡みついたフジの花が見えます。




囃子水公園の藤棚でも4月の中・下旬、みごとに花を咲かせています。
木に絡みついているフジも、藤棚のフジも同じ種です。





ヤマフジとフジの違いですが、ヤマフジは団子状に花が咲くのに対して、フジは花房がしだれるのが特徴だといわれます。
また、ヤマフジは本州近畿地方よりも西の山地に自生し、関東地方の野山では見られないようです。

ヤマフジを ノフジ(野藤)、フジを ノダフジ(野田藤)ともいいます。
どちらも、マメ科 フジ属です。



追 記 2013.05.03

蔓の巻き方については、フジが右巻き(上から見て時計回り)、ヤマフジが左巻き(上から見て反時計回り)です。
以下の写真を参考にしてください。


追 記 2014.11.11

蔓の巻き方について、「追 記 2013.05.03」にあるように固く信じていたのですが、植物に詳しい方から、〈世の中 必ずしもそうなってはいない〉と教えられました。
以下は、たいへん参考となった Wikipediaの入念な記述です。

 ➜  Wikipedia 「右巻き、左巻き」

この記述には、混乱を避けるために 「Z巻き」と「S巻き」という表現が使われています。
以下が その図です。

Wikipedia 「右巻き、左巻き」 より

「つる植物」について、次のように書かれています。

つる植物の巻き付き方向は、通常右巻き、左巻きの語が用いられている。 しかし、Z巻きを右巻きと呼ぶ方法と、S巻きを右巻きと呼ぶ方法の両方が使われている。図鑑でこの語を見たら、図を見て確認することが望ましい。

無用な混乱を避けるため、今後は 「左」・「右」は使わず、「Z巻き」と「S巻き」で通すことにします。

なお、以下のサイトで綿密な考察を加えてしていますので、ぜひ ご一読ください。

 ➜  広島の植物ノート 特集 「つる植物の右巻きと左巻き(簡潔版)

 ➜  広島の植物ノート 特集 「つる植物の右巻きと左巻き(詳細版)



S巻きのフジ (近くの山林で撮影)


Z巻きのヤマフジ 〔園芸品種 シロカピタン〕
(鎌ケ谷市北部公民館で撮影)


2013年4月25日木曜日

鎌ケ谷の大師堂(6) 吉橋大師講の札所

東葛・印旛大師講と並んで かつては行われていた吉橋大師講の札所が鎌ケ谷市内に2カ所あります。

吉橋大師講の開設は、東葛・印旛大師講同様、1800年代の初めに溯ることができるそうです。
この二つの講は、元々はひとつのものであり、文化4年(1807年)に吉橋の貞福寺住職・存秀により、下総四郡新四国八十八ヶ所が開設されたのが端緒だといいます。
吉橋大師は、1995年に講の活動休止が発表されましたが、今でも個人や小規模グループでの巡礼が行われているようです。

市内の吉橋大師の大師堂は、清長庵と鎌ケ谷八幡神社に置かれています。

① 吉橋大師 第三十一番札所 清長庵

青面金剛の隣にあります

② 吉橋大師 第四十三番札所 鎌ケ谷八幡神社

廃寺となった花蔵院から移されました

これらの写真は一昨年(2011年)に撮ったものです。
撮影時には吉橋大師の札所であることを知りませんでした。
写真の記録性を再認識させられます。


 ➜  鎌ケ谷の大師堂(5) くぬぎ山にある掛所


鎌ケ谷の大師堂(5) くぬぎ山にある掛所

東葛・印旛大師講の札所・大師堂は4カ所でしたが、これらに加えて掛所が1カ所あります。
多くのサイトにおいて、「鎌ケ谷市の札所は5カ所」だという誤った記載があります。
たぶん掛所が、誤って札所に加えられてしまったのだと思います。
札所は4カ所、掛所が1カ所です。

この掛所ですが、『我孫子市史研究センター会報 第88号』によると、
①掛所とは、札所ではないが、大師像が祀ってあり、大師参りで立ち寄る場所である。
②札所と札所の間が遠い場合などの休憩する場所ともされる。
とあります。

鎌ケ谷にある この掛所というのが、札所と比べて引けをとっていません。
それをお見せしましょう。

新京成線の踏切の手前にあります


左が大師堂 右は童子像


《  大師堂 しずかに佇み 人を待つ  》


扁額の文字が一部薄れて判読困難

2013.05.24 追 記

上の扁額の御詠歌ですが、以下のように書かれているのでしょうか。

「四国より 初富里へ影うつし 仰げば□□□ 伊予の笹山」

「□□□」の部分は「ここも」でしょうか?

調べたところ、伊予には笹山観世音寺という寺があり、かつては札所だったそうです。
くぬぎ山の掛所は札所ではないところから、今は札所ではない笹山観世音寺に引き比べたのではないかと思われます。
「初めて四国遍路をするものは 必ず月山(月山神社)か笹山(笹山観世音寺)を参る慣わしになっている」のだそうです(参照先: 「伊予・土佐境界の謎」)。


 ➜  鎌ケ谷の大師堂(4) 第41番札所 宝泉院 (佐津間)

 ➜  鎌ケ谷の大師堂(6) 吉橋大師講の札所


2013年4月24日水曜日

鎌ケ谷で見られる木本(3) ウワミズザクラ と イヌザクラ

2013年の春は桜の開花が早かったです。
市制記念公園のソメイヨシノも3月の終わりから4月はじめには満開でした。

市制記念公園のソメイヨシノ


例年より早く満開に 4月1日撮影

ソメイヨシノよりも開花が遅いヤマザクラも同じで、吉高の大桜は4月4日には満開でした。
これについては、以下にレポートしました。

 ➜  満開の吉高の大桜


粟野の森には、これらに加えて、ウワミズザクラとイヌザクラの2種があります。

2013.04.26 追 記
どちらもバラ科ウワミズザクラ属です。
ソメイヨシノとヤマザクラは、バラ科サクラ属です。
同じバラ科でも、属が違います。
この追記 終わり

まず、ウワミズザクラから。鎌ケ谷五中の近くで4月17日に撮影しました。

ウワミズザクラ 樹形


ブラシのようなウワミズザクラの花 花のついた枝には葉があります


ウワミズザクラの葉

次に、イヌザクラです。市道2130号線沿いで4月20日に撮影しました。

イヌザクラ 幹が白いのが特徴です


イヌザクラの葉

イヌザクラの開花は、ウワミズザクラとほぼ同時期だそうで、再び撮影にいった4月末には散っていました。

2013.05.04 追 記
イヌザクラの花の撮影は1年待とうと諦めていたら、近くの大町公園でまだ咲いていました。ラッキーです。

イヌザクラの花 花のついた枝には葉がありません


2013.04.26 追 記

いつも植物について教えていただいている 植物に詳しい方から、桜についていくつかのことを教わりました。

➀ ソメイヨシノは、接木によって増やされてきたものであり、国内ほとんどすべてのソメイヨシノは同じDNAをもつクローンである。
➁ ソメイヨシノは、自家受粉しないため、実がなっているものは他の品種との交雑によるものである。他のソメイヨシノの株からの花粉でも同じDNAをもっているので受粉しない。
➂ 同じDNAをもったソメイヨシノは、条件が整ったときに一斉に開花するため、花見前線の予測といったものが可能になる。
➃ ソメイヨシノやヤマザクラと、ウワミズザクラやイヌザクラでは、同じバラ科でも属が違っている。

ソメイヨシノのお話は面白かったです。
ありがとうございました。


2013.07.18 追 記

ウワミズザクラの花を見てから3カ月、昨日の散策会でYさんから その実がなっているいることを教えられました。
知らないことを教えていただけることは、本当に嬉しく有難いことです。

黄色いウワミズザクラの果実 (成田市・坂田ヶ池総合公園にて)


赤く色づいたウワミズザクラの果実 (栄町・房総のむら にて)


2013年4月23日火曜日

鎌ケ谷の野馬土手(6) 初富小学校の北にある勢子土手

初富小学校の勢子土手から200メートルほど北に行くと、左側に東初富テニスコートがあり、右側に勢子土手が見えます。

4月のはじめに行ったときには、土手上に大きなケヤキの木が何本もありましたが、4月半ばに行ったときには伐り倒されていました。
近所の人にきくと、テニスコートに落ち葉が入らないようにするため伐ったのだそうです。

 知らぬ間に 古木伐られし 土手の上

前回に行った直後に伐られたようです。
伐られたケヤキの断面を見ると100歳以上の年齢。
写真を撮っておかなかったのが悔やまれます。
あとの祭です。
「今見ている風景は 明日は消えているかもしれません」と以前に書きましたが、現実を目の当たりにしました。

さて、さらに北の方に向かって細い道を行くと、左側に梨畑が広がり、右側に再び勢子土手が見えてきます。

右側に突然 土手が出現します

みごとな野馬土手で、ほぼ本来の形を残しているのではないかと思います。
土手の最上部にはほとんど木が植えられていません。
よくぞ形を保っているものです。
鎌ケ谷で一番美しい野馬土手ではないでしょうか。

振り返って見ると、長く美しく続いています

この野馬土手を過ぎて、市民体育館の方へ向かって左に折れると、秋元病院の近くに川が流れています。
金山落(かなやまおとし)という川の2つある谷頭の一方です。
昔は、この写真の奥の方に野馬の水呑み場がありました。
秋元病院が建つ以前には、水呑み場らしい風景が残っていたのではないかと思われます。

秋元病院近くの金山落源流

もう一方の谷頭は瓢簞といわれる場所にあり、鎌ケ谷五中の手前に水路が残っています。
こちらについては、次回取り上げます。

金山落は下総基地の横を通り、桜で有名な今井堤の間を流れて下手賀沼へと流れ込んでいます。
また、手賀沼の西端に注いでいる大津川の上流には支川が3本あり、そのいちばん東側の支川が、金山落の上流部と平行してそう遠くないところを流れています。
この辺はけっこう複雑な地形なのかもしれません。


 ➜ 鎌ケ谷の野馬土手(7) 瓢簞にあった野馬の水呑み場

 

2013年4月20日土曜日

2013.04.20 市制記念公園のツツジ

鎌ケ谷の市制記念公園は、桜の花の季節に にぎわうことで知られますが、ツツジも多く植えられており、いま色とりどりに花を咲かせています。













2013年4月16日火曜日

鎌ケ谷の野馬土手(5) 市民体育館横の野馬除土手

初富小学校横の勢子土手に沿って進み、車の通れない細い道をさらに行くと、所々に残存する野馬土手が見えてきます。
市民体育館の方へと道を折れると、水の湧く場所があり、かつては馬の水呑み場だったところを通りかかります。
これらについては、今回は取り上げませんが、後日紹介してみたいと思います。

さて、市民体育館に足を向けましょう。
門から駐車場に向かい、その一番奥へと進んだところの左に野馬除土手があります。

市民体育館の駐車場を奥まで進みます


駐車場の隣の木立の右手に野馬除土手があります


土手の盛り上がりが見てとれます

所在地でいうと、市民体育館は初富、隣りあっている野馬土手は粟野です。
初富はかつての中野牧の地、この野馬土手は旧粟野村の耕作地を守るためにつくられた野馬除土手です。

野馬除土手である旨が書かれています


土手の表土が失われ、木の根がむき出しになっています


この野馬除土手は私有地にあります

この野馬除土手は、粟野の森の南端に現存する野馬除土手につながっていました。
この土手については、ki さんが、以前に詳しく述べています。
以下を参照してください。

  ➜ 粟野の森と野馬除土手


 ➜ 次の記事 鎌ケ谷の野馬土手(6) 初富小学校の北にある勢子土手

 

2013.04.14 満開から10日後に訪ねた吉高の大桜

10日前には満開に咲きほこっていた吉高の大桜も、すっかり葉桜の姿に変わっていました。

満開のときのようすはこちら ➜ 吉高の大桜 2013.04.04

葉桜になっても訪れる人はいます


ぐるりと反対側に回ってみました


再び正面からの景色


出はじめは赤かった葉が 緑色に変わっています

吉高の大桜、葉桜も なかなかいいものではありませんか。